暗黒剣            著 Linn Agrea              Ralph Knowell            訳 穂塚 凛  1  「結局、お宝はナシかァ……。疲れたなァ、今回は特によォ」  我々の先頭を歩くエースが呟く。こういう時のエースは決まって溜め息を吐く。他人が溜め息を吐くと、寿命が縮まると戒めるくせにだ。相変わらず勝手な奴と思うと、苦笑を噛み殺せない。  徒労に終わった時ほど、疲れを感じる事はないだろう。エースとソフィーリアの探索は、今回は空振りに終わった。 「ゼータク言わない。モトくらいは取れたでしょーに」 「モトだけじゃァ、暮らしちゃ行けないんだよォ……ちっとは稼がないとさァ」 “冒険者”である彼らは、冒険のネタを買い、一攫千金を夢見て旅に出る。目論見通り遺跡に財宝がある事は稀だが、そいつを手に入れた時の代価は、限りなく大きい。最も財宝がある時は危険も限りなく大きいのだが。  彼らの“探索”の、今回の情報元は盗賊のラルフ。普段はグローリーの街で、風見鶏亭という酒場の雇われ主人をしている。彼らの結果だけを見れば、良い情報だったとは言えないかもしれないが、モトが取れただけマシなのかもしれない。それとも、そもそも命があっただけ幸運なのかもしれない。  決めるのは彼らだし、同行するだけの私には何も言えない事。だが彼の名誉の為に一言すれば、盗賊としてのラルフは、決して無能ではない。 「だったらさ、もっともっと危険が多くても、もーかりそーな話を探してくればいいじゃーないかー」 「オイオイ……抱えるリスクがコレ以上増えたら、帰って来れるワケねーだろが。オレとオマエの二人じゃよォ」  エースも盗賊だ。探索は得意でも、荒事は不得手。精霊のソフィーリアも知識は豊富だが、荒事はエース以上に苦手だ。 「誰か誘えばいーじゃない? シリューとか、ファニーとか。……皆、アンタよりは強いでしょ?」  シリューやファニーはエースの仲間で共に頼りになる戦士。だが情報では、危険は無いという事だったので、エースは単独で今回の探索に臨んだ。 「オマエ……それが仮にも契約者に対してのセリフか?」 「『オレは歯に衣着せない物言いが好きだ』とか言ったのはダレかな?」 「あーそー。素直に育ってくれてうれしーよ、ホントに」  私の前では、まだ漫才のような会話が続いているが、これはいつもの事だ。彼らに対し、芸人にでもなった方が儲かるんじゃないか? と思った事は一度や二度の事ではない。最も本人達は否定する。駄目だ、また苦笑を噛み殺せない。 「どーいたしまして。そんで? もーちょいヤバくて、もーちょい儲かりそーなハナシを探すワケ?」 「それでハズしたら泣きを見るハメに陥るんだよォ。ただでさえ少ない儲けを分けるんだからな」 「儲けとは限らないんじゃない? ん〜でも、借金は分けられないからねぇ」 「……一言多いんだよ」 「一言だけカナ?」 「……分かっててやってるだろ」 「当然」  溜め息を吐きながらエースが、真面目な顔をしながらソフィーリアが言う。  とっぴんぱらりのぷう♪ (↑ 場面転換の効果音)  私にはそんな音が聞こえたような気がした。  冒険都市の異名を取るグローリーの街。  この街には“賞金稼ぎ”または“冒険者”と呼ばれる者達が大勢いる。獲物や遺跡が、この街の周りに非常に多く存在するからだ。 “賞金稼ぎ”達の狩る獲物は、邪悪で、異形なる暗黒の精霊、ニック。 “冒険者”達が潜る遺跡は、グローリーの街の地下。かつて栄えた帝都の街並み。  彼らにも序列がある。駆け出しには駆け出し用の、中堅には中堅用の、そして強者には強者用の“仕事”がある。  酒場、風見鶏亭。  ここに集まるのは、駆け出しを卒業して、中堅から強者になろうとする者達だ。 「誰かいるかい?」 「ただいまー。帰ってきたよー」  我々が風見鶏亭の扉をくぐると、奥の方から元気の良い声が返ってきた。 「よお、エース! 首尾はどうだい? まあ、突っ立ってないで座れよ。じっくりハナシを聞こうじゃないか」  我々を迎えてくれたのはファニー。ラルフは不在だった。 「ん? ファニーだけか? 他の面々はどうした?」 「……いや、来た時から我々だけだったぞ。ラルフもシャーナも、セシアもいなかった」  落ち着いた口調で、サラが答える。彼女はファニーの剣の柄に宿る精霊だ。私は怒らせた事はないが、本気で怒ると物凄く怖い御方らしい。実際、少ない口数からは彼女の持つ凄みの様な雰囲気が感じられる。私はいつも彼女に対し、必要以上に礼儀正しくなる。 「オイオイ……店、空っぽにして、どういうつもりなんだ?」  同感だった。 「……空ではない。我々がいる」  これにも同感だった。言われて成程と納得してしまう。納得している自分に気付くと、やはり苦笑が漏れるのだが。 「サラは客だろーが! オレが言いたいのは、店側の人間が誰もいないって事をだな。不用心だと……」 「……確かにな。この店にエースが一人だと危ないだろうな」 「おい! オレは店の金なんかに手をつけたりしないぞ!」 「……金には手をつけなくても、食料がごっそり無くなりそうだな。あるいは、この店の名前のツケで呑みまくるのか?」 「………………………………」  私はまた、苦笑を噛み殺すのに苦労する。過去の悪行は、いつまででも言われるもの。からかいがいのある人間だと尚更だ。サラは椅子の上で長い足を組み、のんびりとくつろいでいる……様に見える。妙に隙が無い様な雰囲気も感じるが、今のサラはきっとくつろいでいる……のだろう。 「ハハハッ。あんまりエースをイジメるなよ、サラ」 「……ラルフ、戻ったのか」  サラが足を解き振り返る。扉にはラルフが顔を覗かせていた。 「ドコに行ってたんだよラルフ! オマエがいないおかげでオレは……」 「いくら俺でも……身から出た錆は庇えんぞ、エース。その口振りじゃあツケを払い終わるのは当分先のようだなァ」  ラルフがゆっくりとカウンターの中に入って行く。 「サボリまくってる雇われ店長には、言われたくない」  憮然と腕を組み大きな音を立ててエースが椅子に座る。カウンターの中のラルフが苦笑する。ソフィーリアがエースの座った椅子の背に頬杖を突いて立つ。ファニーは変わらず酒杯を呷っていた。 「別に俺は、サボってたワケじゃあないんだがなぁ……シャーナとセシアは、今も忙しいだろうしよ」  弁解めいた口調でラルフが言う。しかし、言葉の端々に含まれた微妙な雰囲気に全員が気付いたようだ。 「何かあったのか?」  代表するようにエースが聞いた。 「アァ…………殺しだ」  その言葉を聞き、私も酒場の隅の席に腰を落ち着けた。  2  「……収穫なーし」 「オレも真新しい情報は無しだ。まあ、いい。この辺で一度、じっくりと、情報を整理してみようぜ」  疲れた顔をして戻って来たファニーとサラに、エースが提案した。我々はラルフに声を掛け、奥の一室へと引っ込んだ。 「第一の被害者はドゥエルの傭兵、ライル。歳は大体四十くらい。家族は三十前の奥さんと十歳の男の子が一人。この子供は奥さんの為に、傭兵のライルがグローリーの街に腰を落ち着けてから出来た子供だ」  覚え書きを見ながら、エースが説明する。ソフィーリアが机の上に、木で作った簡素な人形を置いた。球体の下に、円錐形の土台がついている。私は歩兵の駒を連想した。どうやらこの人形でライルを表現しているらしい。よく見ると胸の所に名前や年齢が彫り込んである。 「ライルってさ……よく、畑の見張りとか、荷馬車の護衛とか引き受けてたんだよね?」  会話を続ける二人をよそにソフィーリアが、続いて人形を二つ取り出しライル人形の横に置いた。大きさから見て、こちらはライルの妻と子供を表現しているのだろう。 「そうだ。ライルは面倒見のいい男で、そういう仕事をよく引き受けていた。報酬も現金に拘らず畑の農作物なんかで貰っていた時もあるらしい」 「あの人の剣を見た事がある……いい剣だよ。凄く綺麗に手入れされてるんだ」 「……それは、悪人だとは思えないが」  サラの言葉に大きく頷くファニー。だが、エースは苦笑しただけだ。 「第二の被害者はカーク。エリーンの戦士で、この街の衛兵だ。歳は二十二、独り身」 「ライルさんの事件の犯人を追いかけていた衛兵サンですね?」  新しい人形を並べながら、ソフィーリアが確認する。 「そうだ。今は事件の担当は、カークの下にいたコペルって奴に移っているそうだ」 「そのコペルって人は、優秀なの?」  ファニーの問いに、エースは肩を竦めた。 「カークと同じエリーン出身の戦士だ」 「エリーン出身か……強い弱いは別にしても、キマジメなんだろなァ」  ファニーが机の上に顎を乗せ、うめく様に言った。そんなにエリーンの民族が嫌いか。一応、私もエリーン民族なのだが……彼は、その事に気付いているのだろうか。 「エリーンもロマテネも……民族の団結力は驚異的だからな。まあ、軍隊は強いが」  エースも、光の民が好きという訳ではないようだ。彼らの仲間のシリューも、確か光の民、私と同じエリーン民族だったと思ったのだが……? そういえば……ラルフも光の民、ロミーア民族だった筈だ。これはどういう事なのだろう。  話が脱線しているのを幸いに浮かんだ疑問をぶつけて見る事にした私は、答えを聞いて唖然とした。  どうやら彼らの眼に私やシリュー、そしてラルフは、およそ光の民らしくなく、映っているのだと言う。  まあ確かに……ラルフが例外的なのは理解出来る。吟遊詩人をやっているような光の民は少ないから、私が例外的な事も認めよう。  だとすれば、シリューも、破天荒な性格の持ち主という事になるが……。 「……光の民の性格についてはこの際、問題とはなるまい。つまりは、光の民には個々の実力に突出した輩は少ないという事か?」 「だが、真面目に修行するからな。弱い奴はいないぜ。特にロマテネは女でも軍隊に徴兵されてるから、侮れないぜェ」 「それはロマテネの軍隊が侮れないのか? それともロマテネの女性が侮れないのか?」 「…………両方だよ」  サラの問いかけに、エースは一瞬、言葉に詰まった。 「エースはネー、昔、ロマテネの女性軍人に、それはそれは酷いメにあった事があるカラ」 「うるせーんだよ! オメーは!」 「エース、その話は今度、じっくりと聞かせてもらうぞ!」  エースの後ろ、肩口の向こう側で、悪戯っぽい微笑みをソフィーリアが浮かべている。聞いた事の無い話題だったらしく、ファニーが色めき立っている。エースはソフィーリアを捕まえようとして軽くあしらわれている。そもそも相手は飛べるのだから、捕まえようとしても、余程上手く立ち回らない限り無理だろう。そしてサラは拳を振り上げ……。  ダンッ!! 「……本題」  まさに鶴の一声。 (……この用法は、正しいか?  調べてみて間違っていたら、訂正。訂正に無理が出るようなら一文削除) 「問題は……二人とも一撃で、しかも鎧ごと叩き切られている点だな」  言いながらエースは、スッと左肩から胸の辺りまでを手刀で撫ぜた。それに合わせて、ソフィーリアが人形の肩から胸の辺りにかけて、ナイフで傷をつけていく。 「鎧ごと? 一撃でか?」 「……何を着ていた?」 「二人とも革だよ。ただし、ライルは厚手のヤツ。カークは……知っての通り、支給品の胸当てをつけていた」  胸に手で形を作るエース。街を巡回している衛兵の姿が思い浮かぶ。 「……犯人は、常人では考えられない怪力の持ち主、という事か?」  腕組みをして悩み込むサラ。 「厚手の革鎧はなんとかなるとして……いや、馬鹿力の持ち主がおもいっきり振りかぶって大剣でもブン回したら、いくらカネの胸当てでも切れると思うけどな」 「……大人しく、そんな大振りを食らう戦士がいるのか?」 「まあ、よっぽど腕に差が無きゃ無理だろうね、そりゃあさ……」  じろりと睨まれて、ファニーが怯む。無理もない、と私は思った。 「……被害者の腕は、立つのか?」 「ライルの腕は悪くない。奴さんは、闘技場に剣闘士として、過去に何度も出場している。そしてその度に、まずまずの成績を残してはいるんだ」 「残しては、ってのは?」  エースの引っかかる言い方に、ファニーが返した。エースが説明を続ける。 「いつも良い所までは行くんだが、優勝した事はないんだ。優勝候補にも何度もあげられてはいたんだけどなァ。ホラァ、ここ最近の闘技場は……」 「ああ……“主”か」  納得して、ファニーが呟く。 「そそそそ。いつも優勝をさらっていくのは、第二十四代“銀の貴公子”の、グルゼナアスだからねぇ」  エースがしみじみと語る。彼がしみじみとしたのは、闘技場で行われる賭けと無関係ではあるまい。 「……要するに、ライルは戦士として、決して弱くはなかった。そうだな?」  焦れた様に、サラがまとめる。 「ん? ああ、そう。それで、カークの強さなんだが、詰め所に詰めてる奴の中でカークに勝てる奴はいないそうだ」 「なら、殺った奴は、もっと強いって事ォ? ……当たり前だけどさ」 「言ってる途中に自己完結すんな」  エースがファニーを小突く。 「まあ、分かってる事といえばそれだけだな……二人を怨んでいる人もいなければ、二人が死んで得をするような奴もいない。犯人の動機っていうか、目的がさっぱり分からん」  胸の前で両手を小さく広げ、エースは肩を竦める仕草をした。 「ライルが殺られたのが一昨日で、カークが殺られたのが昨日か……」  やおら、ファニーが指折り数え出した。 「まさか……今夜も誰かがってコトは、ないよな? ハ、ハハ……」  引きつった笑い。予感というのは悪いものほど当たるもの。  今晩は、宿で大人しくしていた方が身の為だな……私は今晩の副業を、臨時休業する事に決めた。  3  「狙い通り、犯人に掛かったぜ」  その日の晩、人斬りの犯人に賞金が掛けられた。ラルフが出資元と賞金額、条件などを皆に伝えていく。 「へえ、出資元は治安維持局じゃねーのか? 領主サマ直々かよ?」  食事の手を止め、エースが口笛を吹いた。ファニーも意外そうな顔をしている。それはそうだろう……私も意外だった。  何故なら、普段ならこの様な事件の解決は治安維持局が担当する。だから当然、賞金が懸かるにしても治安維持局から……というのが普通だ。ところが今回は領主直々に賞金を懸けている。しかもその額というのが……。 「一万だって?!」  金がすべてのこの稼業、当然賞金額は予想される危険に相じて高額になっていく。  元々この賞金制度は、かつて、人々に害をなす暗黒精霊が大量に出現した時に生まれた。戦う術を持たぬ者達は、暗黒精霊、ニックの首に賞金を懸けた。強者は戦士としての職と、日々の糧を得た。無論、只の荒くれ者も中にはいたが、賞金稼ぎ達が組織化され、組合が形成されて、資格が登場する頃にはその数も自然に減っていった。  まだまだ動乱、混乱、戦乱の種の尽きない現在では、立派に職業として成り立っている。最もなり手は少なく、そして生き残っている者は、もっと少ないのだが……。 「……高額だな。随分と」 「領主直々で高額かよ。 『裏になんかあります』って、言ってるよーなモンだぜ! さっすが元、賞金稼ぎ」  脛に傷を持つ稼業なのは、今も昔も変わらないという事か。サラまで反応する高額賞金、その危険の度合いも最高級である事は、歴戦の賞金稼ぎでもあった領主メァスハンが保証してくれているという事だ。 「まー、そー、言わない!」  いくらソフィーリアがとりなしてもエースの愚痴っぽい口調は、今は収まるまい。  ラルフが大皿の料理を運んで来て、私達のテーブルに一緒についた。 「領主サマの館には、既に向かっているよ」  この言葉で皆、再び食事の手が止まった。 「誰が? シャーナがかい?」 「馬鹿に手回しがいいじゃネェか?」  ファニーの態度は普段通りと見て取れたが、ラルフに対するエースやサラの態度は明らかに雰囲気が変わっていた。 「今日は前から、舞踏会が入ってたんだ」  料理を頬張りながら、ラルフが答える。 「どうだかな……で? そっちはいいとして、セシアはどうしたんだ? 被害者の、詳しい殺害状況や考えられる可能性、それに呪術が関係しているかどうかの調査結果は?」  エースが椅子に大きく座りなおす。ラルフは相変わらず食べるのに忙しそうだ。 「学院で分析中ってハナシだったが? そろそろこっちに着くんじゃないか?」 「シャーナは学院から、真っ直ぐ領主の館に向かったのか?」 「まさか。衣装を取りに戻って来たさ」  ラルフがエースに目配せした。この盗賊は、今までに一体どれだけの冒険を重ねて来たのだろうか。見た目の若さとは裏腹に、いつも感じるのは老獪さだ。  エースが虚空に溜め息を吐き揚げた。 「それがラルフの落ち着いてる理由か」  両手を広げ、肩を竦めてみせた。 「今日、舞踏会に呼ばれていた奴は幸せさ。歌姫をただで聞けるんだからな」 「それで……? それでも賞金は、ちゃんと払われるんだろうな?」 「領主サマは、二重払いをする気は、ナイと思うよ?」 「そうだろうともよ」  諦めたように、エースは再び食事に戻る。 「こんな時にシリューがいたら 『面白くなってきやがった』 とでも言うんだろうぜ。心底楽しそうにな」 「エースは?」  邪気の無い顔でファニーが尋ねる。こんな時、私はファニーの事を心配になってしまう。 「シリューが間に合って帰って来たら、言うだろうな」  サラとラルフは苦笑し、ファニーは不服そうな顔をした。ふと見れば、ソフィーリアはどこかホッと胸を撫で下ろしているかのように見えた。  セシアが我々の元に辿り着いたのは、それからずうっと後の事。テーブルの上の料理が無くなり、一階の酒場から人気が途絶えた頃だった。  そして彼女は、一人ではなかった。  シャーナと一緒だったのだ。 「暗黒精霊がらみ?」  ファニーが敏感に反応する。 「いいえ、そうと決まった訳じゃあないのだけれど……」  シャーナの報告に、皆の質問が始まった。 「メァスハンは何と?」 「何も言わずにこれを渡してくれました」  シャーナが取り出したのは、1つの珠だった。賞金稼ぎなら、見飽きる程に見ている物。 「これは《精霊捕縛》の珠! これでも決定じゃないと言う気か?」 《精霊捕縛》の珠。  暗黒精霊を“宿り木”の中に封印する為の霊化アイテム。メンバーの中に、唯一の封印手段である《精霊捕縛》の呪文を修得している者がいない場合、絶対に必要になる。  学院で販売しており、その付与された霊力の強さによって価格は大きく異なる。  大抵は学生が授業の一環として霊力を付与した物で、師範が付与した物と言えば非常に高級品。師範が助手の力を借りて付与霊力を高めたと言えば、ほぼ最高級品。師範同士が協力した物程の品質は世界でも稀である。 「……以前に戦った事でもあるんだろうな。似たような状態から」  ファニーにも、現状が飲み込めたようだ。まあ、彼の場合は喜んでいるだろう。 「それで、予想される最大級の危険に応じた賞金をつけた。余程の馬鹿以外は、あの金額じゃあ尻込みする」  反対にエースは仏頂面だ。まあ無理も無い。危険はデカイ、実入りは少ない……彼の最も嫌う仕事になったのだから。 「……想像が当たってた場合は額面通り賞金を支払うが、違う相手だった場合は、出費は押さえたい。そういう事か?」  サラはいつでも冷静……たまには慌てさせてみたくなるのは、私のひがみだろうか。 「で、領主サマは、俺達に人知れず活躍して欲しい訳だ……報酬は?」 「目の前にあるわ」  エースの問いに、シャーナが胸を張る。 「シャーナか?」 「フフ……違うわ。彼の出した報酬は、その《精霊捕縛》の珠よ」  シャーナは年齢不詳で美人だ。恐ろしくて年齢は質問出来ない。エースもファニーも、それにサラもソフィーリアも、本当の年齢は知らないらしい。  それはともかく……と、恐る恐るエースが聞き返す。我々に限らず“賞金稼ぎ”が必ず持っている物を、わざわざ報酬にするという事は、だ。 「コイツ、威力は?」 「学院の師範が、その助手の力を借りた物よ。やる気になったかしら?」  予想される最大級の危険。  情報:学院の師範が付与霊力を高めた珠を、惜しげもなく報酬として与える程のレベル。  解答:……考えたくない。出来るなら断りたい。いや、断固として断りたいレベル。 「た、只の辻斬りじゃ、ないワケ?」  エースの顔面は蒼白、言葉にも引きつりが見える。ソフィーリアも固まっている。サラも、ファニーと見詰め合ったままだ。 「私が得た情報よりは、セシアが調べてきた情報の方が詳しいから……後はセシアの話を聞くといいわ」 「参考迄に聞きたい、シャーナ。戦力の中に、俺も入っているのか?」  ラルフの表情が、一寸だけ真剣味を帯びていた。という事は……かなり本気だ。 「入れて欲しいけど、入ってないわ」  シャーナの返事に全員が安堵した。ボスの判断に、自信を取り戻したのかも知れない。 「セシア。情報くれ」  あとは、行動のみ。  4   二日後。被害者は合計四人に増えていた。  毎晩一人ずつ、粉々に砕かれた武器と共に、一撃で打ち倒されてトドメを刺された死体が見つかっていた。 「手口から見て、犯人は同一犯。凶器は刺殺可能の両手剣である可能性が最も高い……」 「刺殺可能な両手剣だって?」 「……それなら、使ってる人間は、少ないのではないか。絞り込めないだろうか?」  あの晩、セシアの報告に、エースとサラが考え込んだ。刺殺可能に加工されている様な両手剣は多少割高になる為、使っている人間は限られている。 「一人目、二人目の被害者を、一撃で倒した威力の高さから見て、殺人者は片手で武器を扱っているとは思えないんです。それから、三人目、四人目の被害者は、喉を刺し貫かれています。同一犯が、複数の武器に熟練しているとは考え難いので、一つの武器で全ての被害者を倒せる武器を考えた結果……」  今、サラとエース、ソフィーリアの前には分厚いリストが広げられている。賞金稼ぎや傭兵、冒険者、闘技場の戦士達などのリストだ。それに街中の武器屋の売買記録……。 「そろそろセシアにも手伝ってもらうか?」 「……いや、まだ休ませておいてやった方が良いだろう」 「そーだよ、エース。これだけの複製を作るのに、セシアがどれだけ疲れたか、知らない訳じゃないでしょー」 「……ファニーもな」  セシアとファニーは、別室で休んでいる。セシアは《複製》の呪文、ファニーはセシアへの疲労回復呪文を、二日間唱え続けたのだ。 「あーあ、あと、どんだけあるんだよォ」  私は確認の手を休め、未確認の複製をざっと数えてエースに伝えた。その数の多さに、エースが机に突っ伏す。 「……エース、休んでいる暇はない」  言いながらも、サラの手は休まない。 「……今晩もまた犠牲者が出るぞ」  重いサラの言葉に、エースが机に向き直る。ソフィーリアも書面上に視線を落とした。  それを見て、私は部屋を出た。戻った時、誰も何も言わなかった。私が手に持った油を置いた時、エースが小さく溜息を吐いた。  遊びの時は、あれほど夜に強いのにな……私は敢えて込み上げる苦笑を噛み殺そうとはしなかった。  この地道な作業の結果は、二通りの結果で、翌日の朝に出た。  第二十四代“銀の貴公子”グルゼナアス。  被害者である戦士達を、一撃で打ち倒せるだけの技量と、突き刺し用の両手剣そのものを持ち合せている唯一の戦士の名だ。  そして……そう結論を出した彼らの下に、五人目の被害者発見の報が齎された。 「昨夜殺されたのはゴイル。結構有名な傭兵だったそうです」 「また傭兵かよ……でも、それだけじゃ別段、今までと変わらないじゃないか? セシア」 「そうだな。困った事ってなんなんだい?」  傷の状態を確かめて戻ったセシアは、暗い面持ちだった。何かあったな……と直感し、エースとファニーはつい言葉を挟む。  言いよどむセシアをサラが促す。 「実は……今度の被害者は、斧の様な一撃を首に受け、そして恐らくは倒れた後、背中を刺されています」 「斧の様な? 剣じゃないのか?」  思わずファニーが聞き返す。しかしセシアは、ゆっくりと首を横に振った。 「傷は、剣よりも遥かに幅厚な切り傷でした。さらに言えば、刺し傷は槍のようで……」 「手口は一緒なのに……使った武器が違う? どういう事だよ」 「……斧の様な切り傷と、槍の様な刺し傷を与えられる武器といえば、鉾槍か」  鉾槍=ハルバード。長い槍の先に斧の様な刃がついた武器。  成程、確かに鉾槍なら、斧の様な幅の厚い切り傷と、槍の様な細い刺し傷を被害者の体に残すだろう。簡単にその事に気がつくとは、さすがサラというべきか。 「問題は……何故犯人は、使う武器を変えたのかって事だな。無論、同一犯と仮定しての話だけどな」  エースが腕を組んだ。 「ここまで手口が一緒で……別かな?」  ファニーは、同一犯説支持らしい。確かに今回も、被害者が所持していた金品には手がつけられていなかったらしい。たまたま傭兵のゴイルに恨みを持つ者が、たまたま一撃でゴイルを倒し、同一犯による連続殺人事件に見せかけようとしているのか。  それにしては、たまたまが重なり過ぎてはいないか? という事だろう。 「腕の立つ傭兵をさぁ……一撃で倒せる奴が、そう何人もいたらたまんないよ」  本音はそれか。 「……グルゼナアスは、鉾槍を使えたかな」 「まあ、使えても不思議はないが……伊達にチャンピオンじゃないしな。でも今回集めた記録の中には、無かったと思ったぜ」 「……そうだな。記録には無かったな」  サラの疲労の色は濃い。エースが元気なのは、昨夜、真っ先にダウンしたからだ。 「とにかく、オレがグルゼナアスに引っ付くよ。サラは……少し休んでたらどうだ?」  エースがサラを見やった。放っておくと、サラはとことんまで無茶をするタイプだ。 「……そんな訳にいくか」 「僕は……エースと一緒に行くかな」  方針は決まったようだ。 「ワカラネェのは動機だよ。目的が分かれば、おのずと見えてくる筈さァ」  エースがサラに語り掛けた。サラが黙って頷く。セシアは小さく溜息を吐き、ファニーは大きく伸びをした。 「食事の準備、出来たよーぉ」  ソフィーリアの元気な声が食堂から響いた。  その日からエースとファニーの二人は交代でグルゼナアスに張り付いた。しかし、何の動きも見られなかった。  日没が近付く。今晩もまた誰かがと思うと、サラの表情は険しくなり、また翳って行く。  早めの夕食を終え、サラは愛用の槍を手に夜の街路に立った。後ろにはソフィーリアも短剣を携えて着いて行く。 「出るかなー。本当にグーちゃんが犯人なら、いる筈だよね? 四人なら、大丈夫だよね」 「……犯人が誰でも、出遭いたいものだ」 「もし、グーちゃんが犯人じゃなかったら、二人だもんね」 「……折れるなら、やってみるがいい」  足早なサラの背中を、ソフィーリアが追いかける。ソフィーリアの戦力計算には、私は入っていなかった。まあ、それも無理はない。私はそっと腰の細剣を確かめた。抜くような事態になって欲しくはない。  サラの手に、力がこもっているのが分かる。両肩に力が入り過ぎだ。気負いが大きすぎる時は、好結果は期待出来ない。脇腹を指先で後ろから突くでもして力を抜いてやりたいが、そんな事をしたら命が無い。  最悪この三人で遭遇した場合、問題は私だ。サラも、ソフィーリアも、精霊達は飛ぶ事が出来る。しかし私は、確実な逃亡手段が無いのだから。  サラは逃げろと言っている。遭遇し危険を感じたら、一目散に逃げろと。  ソフィーリアは死ぬなとだけ言っている。死んだって無駄死にだと。しかしそれに付け加え、こうも言う。見捨てて逃げたら呪ってやると。  死ぬのは御免だが、呪われるのも真っ平だ。いっその事、出遭わなければ良いのではないか? とも考える。だが、先頭を歩くサラを見ると、そんな考えはどこかに飛んでいってしまう。  最後尾で夜空を見上げて、私は溜息を吐き上げる。額に冷たさを感じ、前髪が揺れた。星も月も大きく見えた。普段は綺麗に見えるこの光景が、やけに怖く思えた。  5  (この章の、これ以降の文はシリューの話を記録した物である。また、彼の話に悪意ある誇張や嘘は含まれていないと思われる) 「あの日に帰って来たんだよ、俺は。約束に遅れたのは悪かったけど。まァ、こっちも色々あった訳で。  ん? ……まァ、今度な、今度」  私の言葉に、ひらひらと手を振りながら、シリューが苦笑する。 「グローリーの門って、日没で閉じるだろ? ギリギリで駆け込んで、まず報告に行ったよ。報告しないと、金、出ないからな」  彼が言う報告先とは、賞金稼ぎの組合の事だ。一般人には賞金ギルドと呼ばれているが、我々は単にギルドと言う。 「で、報告が終わって、金受け取る日聞いて、出たの。それで真っ直ぐココに向かったんだけども……」  そこで我々と出くわした訳か。 「一人じゃヤバかったよ、多分。まァ何とか、折られずには済んだけどな。  アァ、コレは聞いた後の感想だけどな」  東の暗黒精霊に関する調査報告を終えて、シリューは風見鶏亭に向かった。報告に時間を取られた為か、既に日没からかなりの時間が経っていた。 「月が明るかったから、苦にはならなかったけどな」  賞金ギルドは街外れ、風見鶏亭は新市街の外れにある。その間にあるのは、夜になれば人の気配が全く無くなる畑や広場、作業場。 「俺は噂とか、全く聞いてなかったから……今日は美味いモンが食えるとか、呑むぞぉ! とか、そういう事しか考えてなかった」  シリューが最初の異変に気付いた時は既に引き返せない位置にいた。不覚にも目の前に、通りを占領するかのように立っていた相手に気付いた時には、もう話し掛けられていた。 「話し掛けられたって言っても……向こうはもう鉾槍構えながら立ってて『抜け』の一言だからね」  相手の姿を見て、逃げられないと悟った。自分は鎧を身に着けていたが、それに比べて相手は鎧を身に着けていなかった。  シリューも脚力には自信があったが、このハンデをひっくり返す自信は無かった。 「もう、裸よ裸、相手。それで鉾槍振りまわすんでしょ? 俺、鎧着てんだし無理だよ」  鉾槍は非常に重く大きい武器。使いこなすには相当の腕力が要る。肉体的な能力はどう少なく見積もっても互角だ。シリューの着ていたのは板金による補強鎧で、かなり重い。逃げ出せば背中に致命傷だろう。 「覚悟決めて抜いたけど……背中の盾は構えさせてくれなかった。相手の身体、いきなり倍のデカサになるしよ……」  それは多分《怪力》の呪文だろう。犯人は呪文も使うのか? これは大きな手がかりになるだろう。 「そういう戦士と戦った事もあった。だから信じられなかったんだ、奴の速さ!  最初は踏み込めなかった。奴の獲物の方が長いからな。一撃を避けて、懐に飛び込めば何とかなると思った。  ところが……奴はバケモンだ!」  敵の動きは想像以上に速かった。鎧も何も着けていない相手だ。一撃を叩き込むだけで致命傷と出来る筈なのにどうしても懐に飛び込めない。鉾槍を使っているなら、構え直す隙はどんな達人でも出来る筈なのに。 「全然、隙が無いんだ! 一撃を避けても、すぐ次が来る! 俺が構え直すよりも早く! 押されて、どんどん後退したよ……  前に出る? アイツと戦ってる最中に前に出る? 自殺行為だよ!  仮にあの斬撃の中をかいくぐって前に出たとしようか? でも俺は、そんな無茶の後で、叩き込む余裕は持てないよ。無茶苦茶に振り回したって、当たるもんじゃないよ。  それに、そんな体勢の崩れた時に体当たりされりゃ、吹っ飛んじまうよ!  奴の前で転がりゃ、助からないぜ?」  鉾槍を構え直す隙すら見せないって……? それは常人じゃないな。いくら呪文で腕力を高めた所で限界はある。それを全く隙を見せないなんて……。  シリューの腕前は、間違いなく高い。腕が確かでなければ一人で暗黒精霊の調査に出かけ、戻っては来れないだろう。そのシリューに反撃を許さないなんて……。 「グルゼナアスのダンナには、助けられたね、ホント。あの時あの人が通りかからなきゃ、俺、殺られてたと思うよ?」  シリューも加わった風見鶏亭の一室。 「昨夜のアイツを御縄にするって? まァ、全員で一気にかからないと無理だな」 「……そんな事は分かっている」 「可能ならセシアあたりに狙撃してもらうのが一番だと思う。真正面からやりあう必要は絶対に無い」 「……そんな事は分かっている」 「サラも、ソフィーリアも、飛ばせるだろ? 囲んで撃ちまくるのが一番だと思うよ?」 「……そんな事は分かっている!」  堪え切れずサラが机を叩いた。ファニーは肩を竦め、ソフィーリアは頬杖をついたまま俯く。そんな中、エースがシリューをジロリと見据えた。 「そう、睨むなよ」 「とっとと話せ。悪い癖だ」 「かなわねぇなぁ……少しは浸らせろよ」 「荷物の中か?」 「アァ……。分かってんなら持って来てよ」  エースは素直に部屋を出て行き、隣室からシリューの荷物袋を持って戻って来た。 「この鞘さ」  シリューが袋の中から突き出ていた剣の鞘を取り出す。鞘の根元には手の込んだ彫刻が施されており、恐らくは剣の柄と一体となるように装飾されているのだろう。 「見覚えのある嫌な彫刻だな……。特に埋め込まれている“珠”が」 「そう……オマエが首から下げてる“珠”と一緒さ」  ファニーが苦虫を噛み潰したような渋い顔をする。首から下げている“珠”とは、学院の卒業生すべてに贈られる《精霊捕縛》の珠の事だ。 《精霊捕縛》の珠は基本的に暗黒精霊の封印に使用される。 「何かの封印に使った“珠”か。でもそれがなんで鞘に?」 「そいつを調べに行ってたんだよ」 「……それで、分かったのか」  相手が暗黒精霊の話となると、遺跡巡りのエースやソフィーリアに比べて、賞金稼ぎが本職のファニーやサラの熱が違う。 「鞘の力がかなり高いってのは聞いてたんで、慎重に調べたけど……良い助手がいたから」 「どーせ女だろ」 「シリューはエースとは違うと思うよー?」  また夫婦漫才が始まる。私はサラの視線に気付き、必死で苦笑を噛み殺す。 「……それで」 「結果から言えば昨晩戦った奴は、俺が調査してた暗黒精霊だ。奴の特技は武器の強化」 「武ゥ器の強ォ化ァ?」 「アァ。まァ、武器だけじゃなく何でも強化出来るらしいが」  ファニーが素っ頓狂な声を上げる。サラはシリューの今の言葉で苦笑を漏らす。  セシアが居ないのはその為かと、納得した。 「鎧を着てないのも納得さ。暗黒精霊の鎧は着るものじゃなく、体全体を包む霊力の膜だからな」  シリューの言葉に、サラとソフィーリアが顔を見合わせた。 《高速準備》や《武器安定》の呪文は武器を構え直す隙を減らす。 《物質硬化》の呪文は武器の質を向上させる。 《鋭さ》や《確かさ》の呪文は武器の致傷力や扱いやすさを向上させる。  セシアが学院で、これらの呪文の効果──呪文によってはその存在をも──を夜通しの調査の結果調べ上げ、我々の元に齎したのはもう日没に間も無い頃だった。 「対処法は調査続行中か……まァ、調査結果を待たなくても、これだけ情報が増えれば、対処法くらいは大体考え付くよな? じゃあ、決戦と行くか。奴は必ず来るぞ」  互いに復讐戦か。仲間の顔を見回し、私は際どい勝負になる予感がした。  6   第二十四代“銀の貴公子”グルゼナアスを尾行するエース。そしてエースからの交信を受け、その後を行くソフィーリアと一行。 「今日のグルゼナアスは、パーティーに出席だとさ。近々開かれる大会関係らしいや」 「……帰り道か」 「馬車には乗らない御方らしいからね」  ファニーとサラが、調べた情報から分析を試みる。ソフィーリアはエースからの“声”に集中しじっと眼を閉じている。シリューは組んだ手の上に顎を置き動かずにいた。  会場と家までの途中で、絶好のポイントと思われる位置に待機する。エースだけが会場近くで、現況を報告している。  セシアはまだ、学院で調査を続行している筈だった。  作戦は単純明快だ。シリューの調査結果によれば、マーダーと呼ばれるこの暗黒精霊は非常に執念深く、仕留め損なった獲物を放置するような事は無いと言う。  昨夜、仕留め損なった獲物は二つ。今夜はそのどちらかを、そしてあわよくばその両方を狙ってくる筈だ──シリューが正しいなら。  エース以外は完全武装なので、堂々と表にいる訳にはいかない。狭い路地裏にひしめきあいながら静かにじっとしているのは、苦痛以外のなにものでもない。 「その辺の無人の小屋でも借りられなかったのかよ」 「断り無く、無断でその辺を使う度胸があるなら止めないぞ」  ファニーがぼやき、シリューが答えた。 「グルゼナアスが、パーティーに向かう時に襲撃に遭わないとも限らなかったんだ。もう待つしかないだろ」 「一度戻る訳には行かないのかよ?」 「パーティーの最中に来ないとも限らん」 「ただ待ってるって、キライなんだよなァ」 「ボヤくなファニー。こっちまで滅入る」  そう言うシリューこそ、ボヤいている様に聞こえるが……。見ると、サラは目を閉じて上を向いたまま動かず、ソフィーリアは耳に手を当て俯いたまま動かない。  ソフィーリアの状態を見ていると、エースからの連絡はまだ無い様だ。これで実は寝ていたりしたら、大問題なのだが。……今少し動いたから、大丈夫だろう。 「ナァ……僕、今、ふっと思ったんだけどさ。シャーナに歌って貰えば僕達も中に入れたんじゃないの?」 「!!!!(私も含め、四人分)」  成程、それならこんな所で狭苦しい思いをしていなくても済んだ訳だ。 「……そういう手段もあったな」 「気付かなかったなァ、アタシもー」  素直に納得するサラとソフィーリア。 「そういう事を……何でもっと速く言わねェんだよオマエわァ」  しかし、シリューは……自分だって気付かなかったのだから、責められる立場ではないだろうに。手後れの良い意見と言うものは、こういう扱いを受けるものか。 「くく苦しい……くっ首を絞めるなぁぁぁ」  パーティーはもう終わりに近く、この意見は完全に手後れなのだから……そうか。  シリューも待つのは嫌いだったのだなァ。つまりアレは、八つ当たり。  その点、精霊達はこういう時は強い。もし疲れるようなら“宿り木”の中に戻っていれば良いのだから。彼女らが“外”にいたのは、契約者達への配慮だったのだろうか。  決戦の時は、突然にやって来た。  グルゼナアスは物陰の我々に向かって剣を抜いたのである。 「オイ、出て来い」  軽い口調。しかし、有無を言わせぬ迫力。 「……これは我々が両手を挙げて出て行くのが正しいのではないか?」 「昨日会ってるから、顔を見せれば……覚えててくれると思うんだけど……」 「でも、何でバレたの? 僕達は誰も向こうからは見えてないんじゃ?」 「………………」 「……どうした、サラ」 「…………今、エースから連絡が」  色めき立つ一同。そうだ。エースから何か情報なりを得られれば……。 「何だって、エースは」 「グルゼナアスから不意打ちを受けて倒されたって……今、自分は、グルゼナアスの足元に転がってるって」  一同絶句。それでは私達が隠れているのも分かって当然だろう。しかし……私達の中で一番尾行術に長けたエースが簡単に倒され、その上、足元に転がされているとは……。 「エースが言うには……自分は覚えられてなかったけど、シリューなら覚えてるらしいんで、自分の事を証明してくれって……」 「敵の組織に捕まった足手まといのチンピラみたいだな……」  ファニーが頭を抱えた。 「……シリュー。貴方が先頭で出て行くのが最も正しいやり方のようだ」 「そうみたいだな……まったく呆れる!」  エースは、尾行にサラかファニーが着いて行くと申し出た時に断っていた。独りの方が動きやすいと……。 「独りだと弱すぎるだろォが!」  だからこそ逃げ足の速さも鍛えられていた筈だ。必要に迫られてこそ、その腕は、最も早く鍛えられる。それなのに……。  シリューが路地の出口へと向かった。 「そうか……賞金首が私をなぁ」 「私達は貴方に危害を加えるつもりは……」 「その辺はコイツから聞いたが……」  そう言ってグルゼナアスは足元を一瞥した。 「しかしオマエ達は私に加えられるであろう危害を利用しようとした。違うのか」 「い、いや、それは……」 「少なくとも、私の承諾は取るべきだ。素直に教えてくれれば、私も協力出来たんだ」 「……協力出来た、とは」  問い詰められしどろもどろになるシリュー。サラはグルゼナアスの言葉に込められた微妙なニュアンスを、聞き逃さなかったようだ。 「もう手後れだと言う事だ」  腰の剣に手をかけるグルゼナアスの視線を追い、一同は振り返った。  音も無く鉾槍を構えた戦士がそこにいた。 「手助けはいらねェからな、銀の貴公子」 「何故だ、盗賊」 「賞金稼ぎの掟さ。 『賞金は、暗黒を倒す事に協力した者全員で納得する様に分配する事』  アンタが参加しちゃ分け前が減っちまう」  グルゼナアスが呆れたように苦笑した。エースの戒めを解き、私も腰の細剣を抜く。 「オマエもいらねェよ、吟遊詩人」  私は肯くと細剣を腰に戻し、後に下がった。  ファニーの持っていた盾と棍棒は、一撃で粉砕されていた。木製だったといえ破壊力は凄まじいの一言に尽きる。その上、その時の威力に吹っ飛ばされ転倒してしまった。  ファニーを庇いシリューが最前線に立つ。間合いさえ詰めてしまえば、鉾槍使いはどうあがいても構え直す隙が生じる筈だ。しかし相手は体当たりでシリューを倒すと、動きの止まった所に、連続で鉾槍を振り下ろした。シリューの持っていた盾も一撃で破壊された。やはり木製の盾ではもたないのか? 相手の重い一撃を受け止めたシリューの剣が悲鳴を上げた。しかし、さすがは代々受け継がれてきた業物、折れる事無く主を守った。  ソフィーリアは後方から仲間を呪文で援護しようとしている為、攻撃を受けてはいないものの、乱戦になり得意の射撃呪文が使えずにいた。この後、味方の損耗が激しくなればその援護は治癒呪文に限定され、攻撃呪文は使う事が出来ないだろう。  サラの攻撃は着実に相手を捕えてはいたが、動きを止めさせるまでには到っていなかった。しかもファニーの武器が破壊されてしまった為、自分が武器に変化するかどうか迷ってもいた。ファニーも予備の武器は持っているが、ナイフ一本で立ち向かわせるのは酷だ。  しかし、武器に変化してファニーにすべてを任せた時、果たして自分はあの重い一撃を受けた時に耐えられるのか不安だった。  敵は執拗にシリューを狙った。成程、まず逃した獲物から片付ける気か。  シリューが狙われてるうちに何とかしないと、誰かが殺られるかも知れない。こっちの切り札はまだ残っているが、果たして相手はどうだろう?  7   サラが意を決し、剣に変化してファニーの手に収まった。火炎を吹き上げる剣を構え、ファニーが吠える。  敵に狙われているシリューが“壁”となって耐えている間に、ファニーが火炎剣の一撃を叩き込めれば何とか出来るだろう。  エースは細かく立ち位置を変えながら投げナイフを構えていた。  ソフィーリアも細かく空中を移動しながら風の刃を叩き込もうと狙っている。 「勝負あったか……?」  グルゼナアスがボソリと呟いた。何故かを問う私の視線に気付き、言葉を続けた。 「鉾槍使いの攻撃では、あの戦士を倒す事は出来まい。フェイントも効果が無い様だしな。ならば体当たりでもして戦士の防御を崩せば良いのだが、戦士が倒れた時こそ盗賊や精霊の構えている投擲物の絶好の機会。火炎剣の一撃もある。そのすべてを、避け切れるものではあるまい」 「武器を叩き落としたらどうです?」 「仲間の機会を誘っている戦士が武器を落としたら、やっぱり下がるだろう。同じだよ」 「貴公子殿なら、勝てますか?」 「俺ならまず、鎧は着て来るがな」 「それ以外には?」 「……俺なら、戦士に飛びつく」  私は満足そうに肯いた。考えが同じだったからだ。  格闘戦となった二人に投擲攻撃を行うなど、無理だ。だからグルゼナアスが──そして私も──鉾槍使いの立場なら、シリューに格闘戦を挑むだろう。呪文の効果で肉体的な能力が上昇している今、膂力で負けるとは思えない。これだけ連携を磨いている者同士なら、誤射の可能性を全く無視して攻撃はするまい。ならば盾として使える筈だからだ。  では、何故そうしない……?  均衡が崩れた。  隙を見て、シリューが大きく後方に飛んだ。追撃せんと踏み出す鉾槍使いをエースの投げナイフ、ソフィーリアの風の刃、ファニーの火炎が襲う。投げナイフは叩き落とされたが、炎は大きく体勢を崩させ、風の刃は胸中央をとらえた。  鮮血が迸り、胸を押さえて蹲る。シリューが鉾槍を蹴飛ばす。ファニーが柄頭で後頭部を打つと、倒れて動かなくなった。 「今だ、封印を!」  エースが左手の珠を高く掲げた。円を描き、白光が倒れた鉾槍使いを包む。  しかし、何も起こらなかった。 「どうしたエース、失敗か?」 「いや、そんな筈はない! だが、手応えが無かった……」 (この一節の著者はラルフ。時間軸に忠実に事実を伝えた方が分かりやすいと思われる為、挿入する。当然の事だがこの場にいなかった者が話を聞いたのは、後の事である)  知識の総本山、学院。  知らぬ事は学べばいい。そして学ぶ為には学び舎を見つけねばならぬ。良い師と、良い友と、良い書物に巡り会える者は幸せなのだ。もし君がそのどれもを手に入れているのなら、それを放さないよう、注意する事だ。幸運を手放すには、ほんの僅かな時間、僅かな言葉、僅かな態度で充分なのだからね……おっと、話を元に戻そうか。  学院ではありとあらゆる学問、そして呪文を学ぶ事が出来る。もっともその地方ごとに学院の規模は違うので、地方よりは中央の方がより多くの知識を得る事が出来る。  セシアが籍を置くグローリー学院は世界でも規模の大きなもので、奨学試験に合格した彼女は既に立派な給料取りだ。学院は国家が資金援助している半公共的機関なので、彼女は半分国家公務員の様な存在だ。  だから、治安維持局に引っ張り出されたりするのサ。本人は使い倒されているとは感じてない様だけどナァ。  セシアの目付きが変わった……何か見つけたか?  セシアは今、分厚い書物と格闘中だ。こればっかりは手伝えない……一冊しかない本を取り合う訳にはいかないだろ? 確かに俺もココの学院を卒業したが、奨学試験は受けなかったね。公務員よりも俺は賞金稼ぎになり……今は酒場の主人だ。 「ち、違う! この精霊への対処は……」  調査室に篭って寂しい食事に堪えた甲斐はあったようだ。  書物の一節を指差し、セシアが俺に迫る。内容を確認して、俺は書物を棚に戻した。  振り向いた時は、セシアの姿はなかった。壁に立掛けられていた弓と矢筒も消えていた。 「戦う気か……間に合うといいがナァ」  だが、奴は弓では倒せないのではないか? 効果の大きい武器は大剣や斧だろう。もしもダメージという概念が通用するのであれば。一撃で粉砕する以外、手はあるのか?  再度エースが封印を試みたが、結果は同じだった。ファニーが手にした剣の炎をかざす。夜の闇の中、路の上に倒れた男の姿が浮かび上がった。 「!? 見ろ、血だ!!」  エースが叫んだ。ファニーも驚く。サラやソフィーリアも、この場にいればきっと眼を見開いていただろう……今の彼女らは一人は剣であり、一人は後方で待機している。 「血って……《風刃》で切られれば血が出るのは当然だろう?」 「ナニを寝ぼけてやがるんだ、シリュー! 精霊は血なんか流さネェだろ!」  流血する奴もいる。しかし、大半の精霊は出血しない。その体内に血液なぞ持ち合せていないのだ。彼らの肉体というものは、おぼろげに人間を真似て実体化させているに過ぎない。彼らはその体内の中心に“核”を持つだけの、意志を持ったエネルギーの集合体に過ぎないのだから。 「暗黒精霊じゃなく、暗黒の民か……」  暗黒精霊と契約を結んだ者、または彼らに従う者を暗黒の民と呼び、暗黒精霊と同様、彼らも賞金の対象となっている。我ら光の民、エリーン民族の悲願は、彼らの撲滅だ。 「人間は封印出来ネェからな……」  どうする? とでも示すように、エースが顎をしゃくった。シリューは感情を押さえているようだった。情報が聞けるかもしれない暗黒の民の場合、死体よりも生け捕りの方が誉められる。計画的に人数を揃えて潜伏している事も珍しくはないからだ。 「後で、殺す」  低い声でのシリューの言葉に、ファニーが頷いた。縄を取り出し、エースがシリューの肩を軽く叩いた。  我々の後ろで、グルゼナアスが鉾槍を持ち上げた。一番近くにいたファニーの方に柄を向けて差し出す。  ファニーはサラを戻して両手を空け、鉾槍を受け取ろうとした。  ごく平凡な事に見えた。  空中に放り投げられたサラは、人間形態になると、ファニーに向かって突進した。 (……普通にでは、間に合わんっ!)  グルゼナアスから鉾槍を受け取ろうとしているファニーの手に向かって、サラは懸命に足を伸ばした。即ち、蹴り。 「サ、サラ! ……何を?!」  間一髪避けたファニーが見上げた。 「……理由は分からん。だが、その鉾槍には触れぬ方が良い気がする」 「そう言われても、俺は別に何とも無いぞ」  鉾槍に、既に触れてしまったグルゼナアスが苦笑しながら答える。だがサラは、苦虫を噛み潰したような顔のままだ。 「……胸騒ぎがする。奴がシリューの追っていた奴なら、何故、封印は剣の鞘なのだ? 何も関係が無いのか? だとするのなら何故、シリューが言う通りに奴は現れた?」  鉾槍使いが大剣使いであったなら、そして五人目の被害者がいなければ、サラの胸騒ぎは起こらなかったのだろうか。 「……私は、触れぬ方が良い気がする」 「しかし……ここに捨てていく訳にもいかんだろう?」  言いながら、グルゼナアスは鉾槍の具合を確かめるかのように、柄の部分を持ち、軽く持ち上げた。 「うああああああっ!?」 「なっ、何だぁっ?」  8   それは奇妙な光景だった。  鉾槍を軽く持ち上げた途端、グルゼナアスは苦悶の表情を浮かべ、奇声を発した。  奇声はやがて、咆哮へ変わった。  鉾槍を振り回し、眼前の敵を薙ぎ払う戦士。理性を失ったその攻撃には一切の容赦や躊躇はなかった。  ファニーが叫んだ。  石畳に振り下ろされた一撃は文字通り地を割った。風を裂く、大気を斬るという言葉が、今、まさに実演されている。  サラが敵の眼前を飛び、注意を引く。瞬間、戦士達は距離を置いた。サラは鉾槍を躱すとそのまま上に逃げた。  間を置いたその時、我々の後方から閃光が迸った。 《閃光》の呪文は、光の民が得意とする呪文の一つ。近距離の敵の視力を奪い、戦闘力を低下させる。 「大丈夫かっ!」  聞き覚えのある大声。衛兵のコペルだ。  体制を整え直し、戦士達が待機する。顔を手で覆ったグルゼナアスは、指の間から鬼の形相でギョロリと睨んだ。 「そいつが辻斬りかっ? ……えっ?」 「コペル……銀の貴公子サマは辻斬りじゃァネェと思うゼ」 「辻斬りは、コイツだ!」  走り寄るコペル。グルゼナアスの姿を認め、困惑を隠せないでいる。エースとシリューが簡素に応えた。シリューは剣を構えたまま、倒れている男を指示した。 「だったら……これはどういう事なんだ?」  状況を認識出来ないコペル。グルゼナアスが辻斬りではないのなら、眼前で鉾槍を持つグルゼナアスは何なのだ。  誰もその問いに答えられないまま、真っ先に行動を起こしたのはグルゼナアスだった。  顔を覆う手の奥に、吊り上がった唇の端が見えた。そこに気を引かれ目を凝らした瞬間、鉾槍の柄を中心に閃光が迸った。 「なァ、この道は……」 「多分、な」  身を翻したグルゼナアスを一行は追う。  大通りに出て川沿いに折れ、中央広場から僅かに離れる。その先にあるものは、円形の、巨大な石造りの建造物。  グルゼナアスの姿は、その中に消えた。 「奴の……“領域”か」 「や、奴を追うんだ!」  目を押さえながらシリューが、誰にという訳でもなく叫んだ。それを受けて、エースが後を追う。ファニーが続いたのを見て、サラとソフィーリアは残った。  シリューの言葉を己が契約者に伝える為に。 「……血相を変える程の事か? まあ、奴が突然狂ったのは異変だが」 「違う!」  サラの言葉を、シリューは声高に制した。 「奴が辻斬りだ! 閃光を発したのは鉾槍の柄の彫刻だった!」  確かに閃光を発したのは鉾槍の柄だった。もし呪文なら術者の手が光源となる筈なのに。 「……彫刻」  皆が顔を見合わせる。 「鞘と同じ彫刻だったんだ」 (強い奴は何処だ。強い奴は何処だ。  私はまだまだ戦わなければならぬ。  猛者を選び競い、己が牙を研がねばならぬ。  奴を倒すまで、もっともっと強くなる為に。  我が道は、果て無く続く路無き旅)  眼を閉じて精神を統一し、静寂という名の音を聞く。掌と指の腹で柄の感触を確かめ、指先の血の流れを感じ取る。剣が腕の一部の様に一体となる感覚は肩、背中、そして腰を走り足裏へと抜けて行く。支える大地の感触を膝で聞くと、頭の上が熱くなった。  ぞわぞわと背中に心地好い寒気が走る。 (我が旅を終わらせてくれるのはお前か?)  大きく息を吐いて立ち上がる。きつく握り締めた両手の中、彫刻が輝いた。  対峙した時、グルゼナアスは突き刺し用の両手剣を、抜き身で手にしていた。片手でも扱える程度の長さと重さのその剣は、鈍い、しかし鋭い鋼の光沢を有していた。  そして自らも抜き身、上半身は裸であった。無駄無く盛り上がった筋肉が暗い中でも良く分かった。  シリューが辻斬りの件を問い詰める。  しかし、グルゼナアスは何を話し掛けても全く反応しなかった。その表情は完全に死んでいた。  シリューが歯噛みする。何を言えば良いか分からず、ファニーもどうする事も出来ずにいた。しかしエースだけは、その後ろで好機を伺っていた。  しばし、膠着状態が続いた。シリュー達はまだ誰も武器を構えていない。グルゼナアスだけが抜き身の剣を片手に下げていた。  グルゼナアスは、じりじりと距離を詰めて来る。このまま一剣一足の間合いになったら問答無用で切りかかってくる率が高い。  と、グルゼナアスの足が止まった。足裏と砂が擦れる音が響く。一剣一足の間合いまで、もう半歩程の距離。 「抜けぇっ!」  グルゼナアスが吠えた。  シリューとファニーが構える。ファニーの持つ剣はサラの変化した炎の剣だ。エースもナイフを構えた。今度は投げナイフではなく、護身の為に。  グルゼナアスの強さは周知の事実、正直、戦いたくは無かった。しかも、彼がマーダーなら、何故今になってこんな事をしでかしたのだろう? それに持って逃げた鉾槍はどうしたのか。  だが、考える時間は貰えそうもない。 「……俺が、終わらせてやる」  グルゼナアスが動いた。口元にほんの僅か、笑みを浮かべて。  シリューは見た。グルゼナアスの持つ剣の柄に、鉾槍に施されていた彫刻を。 (み、見つけたが……この状態じゃなぁっ)  必死で身体を捌き、剣を打合った状態からようやく逃れた。眼前に敵の剣と、自分の剣の背が迫る様は、どんなに慣れても、やはり気持ちの良い物ではない。  ファニーが炎を飛ばした。グルゼナアスは巧みに体を捻り、回避する。ソフィーリアは後方で待機していた。エースは機会を伺っている。  再びグルゼナアスがシリューに迫った。 「うおおっ!」  シリューは、辛くもグルゼナアスの猛攻に耐えた。そして、シリューの剣も。弾かれたシリューを庇うかのように、ファニーが前進する。  ソフィーリアの顔色が蒼白になった。サラの身を案じたか。 「エース! 封印しろっ!」  シリューが叫んだ。最前線から解放され、ようやく言葉を絞り出す。 「分かってるよ! でもヨォ、効かなくても知らネェからな!」  グルゼナアスの立っていた場所が白い光に包まれた……。  期待があった。ほんの僅か。なったらいいなぁと、心の何処かで思っていた。  あっさりと封印が成功する事を。  だがその甘い期待は木っ端微塵に砕かれた。頭の中の何処かに嘲笑する自分がいる。  声にならない悲鳴が響いた。耳に聞こえた音は金属が打ち合わされた音だったが、心は確かにサラの悲鳴を聞いていた。ファニーの手の中で、炎の剣の輪郭が揺らぐ。  シリューが突き掛かるが、剣で払われた。ファニーは動けず、エースは疲労の色が濃い。ソフィーリアは狙いをつけたまま……しかし撃てずにいた。 (グルゼナアスを救う事は不可能なのか)  単にグルゼナアスを倒すだけなら、いくらでもうてる手がある。しかし、それでは駄目なのだ。グルゼナアスは“救わなければならない被害者”であって“倒すべき相手”ではないのだから。  私は無意識のうちに腰の剣を確かめている自分の手に気付き、その手の汗の量に驚いた。そして何故か、苦笑する事は出来なかった。  9   体当たりを試みても、呪文の効果も受けているグルゼナアスに勝てるとは思えない。  武器を持つ腕に組みつこうにも、相手の方が素早く、動きを押え込む事も出来ない。  第一、懐に飛び込む事すら……!  ふと、グルゼナアスが距離を取った。自ら後方に飛び退り、我々を見据えた。 「……何故、本気ヲ出サヌ?」  言いながらも、グルゼナアスは構えを崩さない。シリューもファニーも剣を構えたまま、眼前の敵を見つめた。 「オマエ!」  剣でシリューを指した。 「先刻ノ突キ、ナゼ急所ヲ狙ワナイ?」 (狙う訳にいかないんだよ、グルゼナアス)  問われても、シリューは黙っていた。油断なく構えたまま、剣先だけを、返事代わりに相手に突き付ける。 「ナラ、オマエ! オマエノ剣ハ、敵ヲ斬ル為ノモノデハナイノカ?」  ファニーも剣を交えてはいたが、攻めには転じていなかった……剣による攻めには。 「後ノ娘ヨ! ソノ風ノ刃ハ、何ノ為ノモノカ!」 「なら、お望み通り本気になってやるよォ」  エースが進み出る。手にはナイフが一本。無茶な! エースにグルゼナアスとの白兵戦が耐えられる筈がない!  だが、何の勝算もなくこんな事をしでかす奴でもない。だが、何をする気だ?  ナイフを構えたまま、エースが一歩、また一歩と距離を詰めて行く。  それを受け、ゆっくりとグルゼナアスは、剣先をエースに向けた。 「無理ダナ……オマエガ、ソノないふヲ私ニ突キ刺スヨリモ早ク、私ノ剣ハオマエノ胸ヲ貫クダロウ」 「やってみなきゃ分からないぜ……?」 「エース、無茶だ……!」  ファニーが止める。だが、シリューは笑いながら言った。 「そうだな。やってみなきゃ分からない……なぁ、エース!」 「死んだら化けて出てやるからな」 「その時は奢ってやるよ。再会を祝してな」  互いに苦笑しながら言う。 「ナラバ、ソノ身デ味ワウガイイ! 無謀サノ代償ヲ!」  グルゼナアスが、全力で剣を突き出そうとしたその時だ。 「?!」  一瞬、何が起こったのか分からなかった。突然グルゼナアスが背を反らせ、注意を後方に向けたのだ。  機を逃がす戦士達ではなかった。エースがナイフを突き出した。  グルゼナアスは後方に退きながら、ナイフを剣で弾いた。だが体勢は崩れ、シリューの剣を避ける事は出来なかった。  渾身の一撃は、手から剣を弾き飛ばした。 「セシアが弩を構えてんのが見えたんだヨ」 「俺も気付いた。だから付き合ったんだ」  セシアの撃った鉛弾はグルゼナアスの背中に見事に命中していた。完全に不意を討たれたグルゼナアスに立ち直る暇を与えず、二人は一気に襲い掛かったのだ。 「エース、とっとと封印しちまってくれや」 「アァ。どっちに飛んで……ったァ!?」  シリューの笑いながらの言葉に肯きながら振り向いたエースは、そこに信じられない物を見た。  エースに続いて振り返ったシリューも凍りついた。主を失った剣が、目に見えぬ亡霊を新たな主にしたかのように空中に浮いているのだ! “剣”がエースに迫る! 今度はエースが、逆に完全に不意を突かれていた。  絶叫が響いた。 「御苦労様。随分大変だったみたいね?」  シャーナの労いの言葉も、今のエースには聞こえまい……。  酒場、風見鶏亭。  激戦を生き延びた我々はここに戻って来ていた。誰一人欠ける事無く。  サラが多少の怪我をしていたが、セシアの呪文でほぼ完治。数日もすれば、全く問題はなくなるだろう。  セシアは報告の為に、学院に戻っていた。  サラは痛み止めの為か強い酒を飲んでいた。私には考えられないハイペースだ。しかし、ファニーやソフィーリアと話す様子を見ると、機嫌は悪くないようだ。もう犠牲者が増える事に頭を悩ませる必要もない。  ファニーはご機嫌だ。最後に封印したのが自分だからだ。トドメにこだわるファニーにとっては、これ以上の事はない。  対照的に、シリューとエースは落ち込んでいた。  ソフィーリアはそんな二人を見て、苦笑を堪える事に苦労していた。  ソフィーリアがいなければファニーは奴を封印できていただろうか? 彼女の風の刃は、今回も大活躍だった。だが、彼女は表立って手柄を誇ろうとはしない。  エースの事を気遣ってだろうか。  でもまぁ、仕方がない事だったとは思う。例え、今回の仕事が全くの無報酬になってしまったとしても、だ。 “剣”が迫って来たあの時、エースは咄嗟に右手を出した。だがその右手に愛用のナイフはなかった。  ナイフの代わりに右手に握られていた物は、封印する為の“珠”であった。それは今回の報酬として受け取っていた物。  それは見事に二つに割れてしまった。 「何であの時、油断しちまったんだァ!」  エースが叫ぶ。 「領主様、奴の賞金の一万なんてくれないよなぁ……」  テーブルの上に顎を乗せ、口だけを使って酒を飲みながら、シリューが呟く。 「貰ってた“珠”が、売るとそれ以上する訳だしさァ。無理だろうヨォ……」  二人のぼやきは、このまま翌朝まで続く事だろう……やれやれ! 今度の冒険の事を詩にして歌ったら、儲けの何割かは渡す羽目になるかもしれない……。 「……ところでリン? 今回の我々の事も、詩にしてくれるんだろう?」 「おっ、いいね、歌って、歌って! 最後に封印したのは僕だからね! 格好良く歌ってくれよな!」  ……何てタイミングで声をかけてくるんだ、サラにファニー。あ〜、さっきの想像が既に現実になりつつあるな。  仕方がない。今晩の支払いくらいは奢ってやろうか。滅多にない経験をさせてもらった事だし。  私は愛用の竪琴を手に、風見鶏亭の中央へと向かった。  私は知っていた。あの“珠”が割れた本当の理由を。 《祝福》という名の呪文がある。それは持ち主に幸運を授ける呪文だ。だが、その効果は永遠ではなく、持ち主に、何か大きな災厄が降りかかった場合は、その災厄を出来る限り弱め、それを最後の援助に消えてしまう。  そうでなければ、エースは無傷では済まなかったに違いない……。  だが私は、この事を決して歌わない。 “悪運”とは、確かに、現実の冒険者達には最も重要な能力の一つだが……それと同時に、私の様な吟遊詩人が歌う英雄達にとっては、最も持っていてはならない能力の一つなのだから! (知恵も勇気も何もなくて、悪運だけで勝ち進む英雄の話など、誰が楽しめるだろう!) 「当分仕事なんかしねーぞ、畜生ォ〜!」 「気分悪いしな! 厄払いに休暇でも……」  だが、この後すぐ──。  彼らは、この事件が元で親しくなった闘士、グルゼナアスの誘いで闘技場に向かい、とんでもない陰謀劇に巻き込まれて行く事になるのだが……それはまた別の機会に語りたいと思う。  何にしても彼らは今回、全員が生き残ってくれた。その事を素直に喜びたい。  そして、しばしの休息を──。                   了